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コム弘繁の
世界

今 は 昔 2015/11/18
戦後70年、生活や社会環境の変化を、井の中の蛙が独断と偏見で辿ります。
【 序 】 田 舎
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東京以外はすべて田舎?
もう、45年も前のことであるが、会社の長期出張の関係で、東京世田谷で暮らすこととなった。当時、生まれも育ちも関西の人間にとっては “東京暮らし、東京勤務” とは一種のあこがれでもあった。
勤め先は都心大手町、ここから地下鉄丸ノ内線で新宿へ。当時はまだ地上にあった京王新宿駅から下高井戸まで乗車。そこからチンチン電車の玉電に乗り換えるのだが、一駅乗車なので通常は乗らずに歩き、5分で借家に到着する。
借家は古い木造長屋の一室で、南端側には大家さんの独立家屋があったと記憶している。家賃(一万円/月)は毎月その大宅家に持参するのである。また我が家の右隣には夫婦二人が住んでいるらしかったが、全く顔も合わせることはなかった。
借家の部屋は戦前からの焼け残り家屋のようである。4.5畳の和室に狭い台所と玄関、裏は日の差し込まない2畳程の壺庭、その縁側の端に純和式便所があった、厠である。当然、内風呂はなく玉電の踏切を渡って3分程先の風呂屋、東京で云う銭湯へ通うことになった。
夜は60Wの裸電球である。テレビなし。ラジオを聴きながら実家から送った煎餅布団で寝る。まさに東京の“田舎”暮らしであった。
夏季休暇で実家に帰るため、しばらく留守にすることを大家さんに告げると、「そう~、 “田舎”に帰られるの!」というお言葉。そうか!東京にとって、大阪や神戸も“田舎”だったのだ!
師走に入った頃だっただろうか、一人炬燵だけの暖房に耐えかねて、大井町のビジネスホテルに転居することとなった。
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